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ガラスの歴史

筆者からひと言

1989年から2003年までの14年に及んだフランスの生活。週末に朝早く起きての「ブロコント」巡りは良い思い出です。

19世紀後半から20世紀始めまでのガラス器が好きで、色々と調べたことをこのページにまとめました。

なお、用語の読み方(発音)ですが、どちらかというと現地での発音に近い表記にしています。
例えば、「ブロカント」ではなく「ブロコント」。詳しくは「フランス風の読み方」にまとめていますので、よろしければお読み下さい。

アンティーク用語集 も興味がございましたら覗いてみて下さい。

2003年からは日本でフランス語翻訳を生業としています。私信やファンレターの翻訳からビジネス関係の文書の翻訳各種証明書の翻訳など、何でも対応できますので、何かございましたらお声をお掛け下さい。

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ガラスの歴史

 人工ガラスの誕生
 「人造宝石」から「ガラス器」へ
 フランスの功績

成型技術
 鋳造(型入れ)成型 Moulage
 コア成型 Enduction sur noyau
 宙吹き成型 Soufflage à la bouche (Soufflage à main levée)
 型吹き成型 Soufflage au moule
 型押し(プレス)成型 Moulage par pression
 パット・ドゥ・ヴェール Pâte de verre

装飾技術
 「カット taille」と「エッチング gravure」
   カット Taille
   ダイアモンド ポイント グラヴュール Gravure à la pointe de diamand
   円盤グラヴュール Gravure à la roue
   酸グラヴュール Gravure à l'acide (technique champlevée)
   サンドブラスト Gravure par sablage
 加飾=「加色」
   金彩 Dorure
   エナメル装飾 Emaillage
   セモンタシオン Cémentation
   虹色彩色(ラスター彩色) Verre irisé

ガラスいろいろ その原料と発色
 ガラス御三家
 オパリングラス
 発色材
 ウランガラス

メンテナンス
 洗浄・乾燥・保管・修復

ガラスの歴史


人工ガラスの誕生

人類は石器時代より、黒曜石などの天然ガラスを刃物などとして使用していました。
では、人工のガラスはどのように誕生したのでしょうか。
偶然に発見されたと考えた場合に、ガラスの主成分である珪砂と石灰が人為的に熔融された状況として可能性が最も高いのは、陶器の窯焼きのようです。
やがて人々は、試行錯誤の末に「釉薬」や「エナメル(七宝)」などの手法(装飾法)として発展させる一方で、ガラスそれ自体による「人造宝石」を作るようになったようです。紀元前3000年頃のメソポタミア・エジプトでは、小さなガラス玉を繋げたネックレスなどの装身具やお守りなどがつくられ、支配階級の貴重品とされていました。


「人造宝石」から「ガラス器」へ

ナイル川デルタの西部では、洗剤や軟膏として広く使用されていた「natron(天然の炭酸ソーダ)」を産出していましたが、これが陶器の釉薬素材として使用され、更にガラス製造にも応用されるようになったようです。

ちなみに、このガラスの3要素(ガラス素材・溶剤・安定剤)は以下の通りとなります。
現在でいう「ソーダ ガラス」です。
ガラス素材
vitrifiant
溶剤
fondant
安定剤
stabilisant
珪砂
(酸化珪素)
炭酸ソーダ
(炭酸ナトリウム)
石灰
(炭酸カルシウム)

余談ですが、ローマのプルニウスは「ガラス誕生」にまつわる、次のような有名な逸話を記しています。
「シリアのフェニキアと呼ばれる地方・・・海辺は、何百年もの昔から唯一のガラスの産地であった。人々が語るには、天然ソーダ商人がこの砂浜で食事の準備をする時に、鍋をのせるかまどを作った際、石の代わりに積荷の天然炭酸ソーダを使った。すると海岸の砂とかまどの火の熱により、ガラスができた」
天然炭酸ソーダが登場するところが非常に興味深い点です。

紀元前1500年頃のエジプトでは、杯や容器など「ガラス器」と呼べるものが作られていました。それらは不透明であり、小型なものばかりでした。
成型の方法としては「鋳造法」と「コア成型法」の2種類が確認されています。
鋳造法とは、「型」に熔融したガラスを流し込む成型法で、形が見事に整った食器類などが残されています。
コア成型法とは、砂や粘土などの不燃性物質で作ったコア core(英語:芯、核、心型)mandrinを使い、そのまわりに熔融したガラスを覆い、冷却後にコアを取り除き、凝固したガラス製品を取り出す工法です。これらは最初の「中空ガラス」といえます。
何れの成型法も量産が出来ませんので、ガラス器はまだまだ特権階級のみが手にすることが出来た高価な品だったようです。

ガラスの製法に関する最古の記述は、アッシリアのアッシューバニパル王の図書館の蔵書(粘土板)に見られ、ガラスの原料が「砂 60、海藻の灰 180、チョーク 5」だとしています。
しかし、「海藻の灰・チョーク」の発想はどこから来たのでしょうか。
天然の炭酸ソーダをアルカリ源とした「洗剤・軟膏」が使われていたことは前にも書きましたが、実は紀元前12世紀頃になると、浜に打ち上げらた海藻(通称 Varech)の灰をアルカリ源として、人工の「洗剤・軟膏」が製造されるようになっていたのです。

ちなみに、この原料によるガラスの3要素(ガラス素材・溶剤・安定剤)は以下の通りとなります。
現在でいう「カリ ガラス」です。
ガラス素材
vitrifiant
溶剤
fondant
安定剤
stabilisant
珪砂
(酸化珪素)
海藻の灰
(炭酸カリウム)
石灰
(炭酸カルシウム)

このように、ソーダ ガラス、カリウム ガラス が共存していたことになります(余談ですが、ナトリウムとカリウムがはっきり区別されるようになったのは19世紀のことです)。

次第に、鉄・銅などの酸化金属を発色材とした色ガラスが発展していきましたが、各地で作られたカラフルなガラスビーズ(トンボ玉)がその成果を物語っています。

紀元前1世紀の中頃、シリア・パレスチナ地方でガラスの世界に革命が起こります。
それは「宙吹き成型」。これは、吹き棹を使い、熔融したガラスを風船のようにふくらます技法のことです。
それから、宙吹きの方法を応用し、「型」の内部にガラスを吹き込む「型吹き成型」も考案されます。
これらの新技術は、ガラス器の多様化と生産性の著しい向上とをもたらしました。こうして薄手で半透明なガラス器が一般にも普及しはじめ、更にローマ帝国の拡大とともに「ローマン グラス」として広く交易されるとともに、その技術も各地へ伝えられていきました。

さて、西暦395年、ローマ帝国が東西に分裂。西ローマ帝国はその後476年に滅亡。侵略者に追われ、内陸部へ逃げたローマ人は、ガラス製造のアルカリ源としてシダや木の灰を使うようになりました。

こうして作られはじめたガラスの3要素(ガラス素材・溶剤・安定剤)は以下の通りとなります。
これも、現在でいう「カリガラス」です。
ガラス素材
vitrifiant
溶剤
fondant
安定剤
stabilisant
珪砂
(酸化珪素)
木灰
(炭酸カリウム)
石灰
(炭酸カルシウム)

このガラスは、加工が難しいと カリウム ガラスですので、ヨーロッパ内陸部のガラス器の多くがシンプルな形になったようです(贅沢を禁ずるキリスト教思想の影響もあったかもしれませんが)。

一方、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)においては、エジプト、シリア、パレスチナや、ササン朝ペルシアなどの影響も受け、ビザンチウム(=コンスタンチノープル、現在のイスタンブール)を中心にガラス産業が栄えました。
イスラム グラスには、カット・エッチング技術・金装飾・エナメル装飾など、現在知られている技術のほとんどを見ることができます。

1204年、ビザンチウムが陥落、ガラス産業は、ヴェネツィアに引き継がれるようになります。
ところで、ヴェネツィアのガラス産業は8-9世紀頃にまでさかのぼることができるようです。この時期はまた、ヴェネツィアにおいて バリラ(Barilla:オカヒジキ。海岸砂地に生育)灰によるバリラ炭酸ソーダの生産が開始された時期でもあります。このバリラ炭酸ソーダは、天然ソーダに代わるアルカリ分として、ヴェネツィアの石けん産業の発展に大きな役割を果たしましたが、ガラス産業にも大きな影響を与えることになります。

その後1271年、ヴェネツィアでは最初のガラス職人組合が結成され、1291年には技術の流出を防ぐことを目的に、ガラス工房をムラノ島に集める法令が出されました。

こうしてムラノ島では様々なガラス工芸技術の発見・再発見が行なわれていきます。特に15世紀以降には、金箔張り・エナメル装飾技術の革新が行なわれ、ダイアモンドを使ったグラヴュール装飾技術も洗練されていきます。更に、「乳白ガラス」「レース グラス」も生み出されました。

加工し易い特性を持つソーダ ガラスの特性を十分に生かした、繊細・優美な「ヴェネツィアン グラス」ですが、良質のバリラ炭酸ソーダがなければ、ガラスの歴史は違ったものになっていたかもしれません。

16世紀末になると、ヨーロッパ各国の宮廷がヴェネツィアの優秀な職人を呼び寄せるようになり、「façon de venise ヴェネツィア様式」と呼ばれるガラス器が生産されます。フランスでは、Orléans、Nevers、Anvers、Liège などに主要な工房がありました。

その一方で、「ボヘミアン グラス」も注目を集めることになります。
宝石彫刻の技術が高かったこの地方では、この硬く透明度の高いカリウム ガラスにカットを施すことで、その特性を最大限に引き出すことに成功したのです。17世紀に入るとガラスの発色法が発展し、色ガラスが人気を博しますが、色被せ(いろきせ:Overlay)のカットグラスは今日でもボヘミアン グラスの代名詞といえる存在です。

1645年、英国では、ガラス熔融の加熱燃料として木を使うことが禁じられるようになります。こうして木から石炭へと移行を余儀なくされると、熱効率について再検討する動きが起こりました。
そして1676年、ジョージ レイヴァンズクロフト George Ravenscroft は、酸化鉛を加えるとガラスの熔融温度が下がることに目をつけました。こうして彼が作ったガラスは、輝き・透明度が抜群で、特有のやわらかさでカットに適していました。こうして、クリスタルの祖ともいえる「Flint glass」が発明されたのです。

その後1781年に サン=ルイ Saint-Louis が、透明度抜群で深い輝きを持つ「クリスタル」の製法を確立しました。英国の Flint glass やボヘミアン グラスとは一線を画す、新しいガラスの登場となりました。

こうして作られはじめたガラスの3要素(ガラス素材・溶剤・安定剤)は以下の通りとなります。
現在でいう「鉛ガラス(クリスタル)」です。
ガラス素材
vitrifiant
溶剤
fondant
安定剤
stabilisant
珪砂
(酸化珪素)
木灰
(炭酸カリウム)
酸化鉛
酸化鉛


フランスの功績


さて、高級ガラス器がクリスタルで作られるようになっても、普及ガラス器の製造には矢張り「ソーダ ガラス」が最適ということに変わりありませんでした。ところがフランスでは、肝心の炭酸ソーダの供給に悩みを抱えていました。炭酸ソーダはガラス以外にも洗剤の原料として年々需要が増しているにもかかわらず、スペインからのバリラ炭酸ソーダの輸入に頼りきりでした。
ニコラ・ルブロン Nicolas Leblanc が海水の塩から人工炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)を得る「ルブロン法」を確立したのは、1790年のことです。

19世紀に入ると、ガラス(クリスタル)製造にも産業革命の波が押し寄せて来ます。
特に サン=ルイ Saint-Louis と バカラ Baccarat は型吹き成型作業の機械化などを積極的に進め、品質の向上はもちろん、生産性の向上による価格低下に結びつけることで、クリスタル普及の下地を作り、高級ガラス器の花形は「ヴェネツィア様式」から「クリスタル」へと移っていきました。ナポレオン帝政期(1804-1815)には、そうしたクリスタルの持ち味を生かした、男性的・重厚なデザインのものが好まれます。

王政復古期(1815-1830)になると、薄く、柔らかいシルエットの女性的なものが流行します。これは当時の上流階級では、正月に置物などのプレゼントを女性に贈る習慣があったことによるようです。そして、更に華やかな色ガラスや「オパリンガラス」などが好まれます。
また1845年にはペーパーウェイトが(再)登場するなど、クリスタル産業は高級品として普及するようになります。


その一方で、庶民の暮らしの中のガラス器といえば、せいぜいコップ(ゴブレット)や大ぶりのワイングラス一種類ぐらいでした。見るからに頑丈な厚みのあるそれらのガラス器を作っていたのは、ローカル色が強い、小規模のガラス工房でした。もちろん手工業ですので生産性は良くありませんし、それほど安く作れるものでもありません。
庶民向けのガラス器は兎にも角にも廉価であることが絶対条件です。そのためには大量生産しかありません。

ようやく1850年以降になり、ガラス器普及への様々な「追い風」が吹きます。
- 型吹きや型押し(プレス)成型などの自動機械が進歩する
- 鉄道の発達により消費圏が拡大する
- 「ルブロン法」に加え「ソルベイ法」も考案(1861年)され、炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)供給が容易になる

こうして、庶民のテーブルにも、アペリティフ用、白・赤ワイン専用、リキュール専用など、ヴァリエーションが増え、その他の生活雑貨もガラス器で作られるようになっていきます。
1880年を過ぎると「アール ヌーヴォー」の影響を受け、パステルカラーやエナメル装飾をしたガラス器も登場するなど、庶民のガラス器は急速な普及をします。

こうした19世紀の庶民のガラス器は、機械工業半分・手工業半分を実感させてくれる、ほのぼのとした魅力があります。
しかしながら、庶民のガラス器は所詮「日用品」「消耗品」でしたので、残っているものは意外と少ないのです。大切に扱われたクリスタル製品とは対照的です。

量産品の製造に関しては、20世紀に入ると成型・装飾の全工程が完全機械化します。
1913年には炭酸ソーダ製造の「電解法」が考案されました。

第一次大戦(1914-1918年)は産業全体にとって大きな打撃となりましたが、すぐに立ち直り、「アール デコ」様式が流行しました。

第二次大戦後は、現代に続く大量消費時代の幕開けです。「人造宝石」にはじまったガラスは、ジュースのビンや容器などとして使い捨てられるようになっていきます。

次章では、余り取り上げられる機会がない「庶民のガラス器」を中心に、ガラスの成型・カット・装飾・技術・種類などの解説をしていきたいと思います。

成型技術


鋳造(型入れ)成型
 鋳造 = moulage 鋳造ガラス = verre moulé

砂や粘土などの不燃性物質で作った「型」に熔融したガラスを流し込む成型法です。
最も古い成型法とされていますが、熔融したガラスを冷却させる段階に「容器」なり「型」なりを使用しない方が不自然なわけですので、当然の結論のように思われます。

紀元前3000年頃のメソポタミア・エジプトで作られた小さな装身具・お守り・ガラス玉 なども「型」を使用しています。
紀元前1500年頃のエジプトでは、この製法により形の整った食器類も作られていました。

紀元前1世紀の中頃、宙吹き成型法が登場すると、この成型法は衰退しました。


コア成型
 Enduction sur noyau コア(核、芯、心型)= core(英)

まず砂や粘土などの不燃性物質で作ったコアを作り、そのまわりに熔融したガラスを覆い被せます。冷却後、ガラスが凝固するとコアを取り除き、出来上がります。

紀元前1500年頃よりエジプト、メソポタミアの他、広く地中海地方では、この成型法により杯や香水瓶などの容器がつくられました。それらは小型のものばかりですが、「最初の中空ガラス器」という事実に変わりありません。

特徴的なマーブル(大理石)模様の(不透明な)ものが多く残っています。

紀元前1世紀の中頃、宙吹き成型法が登場すると、この成型法は衰退しました。


宙吹き成型(成形)
 Soufflage à la bouche(Soufflage à main levée)
 吹込み成型 = soufflage、吹きガラス = verre soufflé

吹き棹(中空の金属パイプ)を使い、熔融したガラスを風船のようにふくらます成型(成形)法です。

この方法が紀元前1世紀の中頃にシリア・パレスチナ地方で発明されると、ガラスの世界に革命が起こりました。
成型・加工の可能性が広がり、ガラス器の多様化が進んだと同時に、生産性も向上しました。
こうして、薄手で半透明なガラス器が一般にも普及しはじめ、ローマ帝国の拡大に伴い「ローマン グラス」として広く交易されるとともに、その技術も各地へ伝えられていきました。

それ以降、宙吹き成型は最もポピュラーなガラス成型法として受け継がれてきました。庶民の生活にまでガラス器が普及していたとまではいえない状況でしたが、大ぶりでいかにも頑丈そうなコップなどが宙吹きや型吹きで作られつづけていたのは事実です。
しかし、1800年以降、一般的なガラス器の製造は「手工業」から「機械工業」へ移行していき、ワイングラスなどを宙吹きで作っていた小さなガラス工房は1900年頃迄に姿を消してしまいました。現在では、美術工芸品や高級ガラス(クリスタル)の分野でのみ、その見事な職人芸を見ることが出来ます。

絵葉書(ガラス職人)
Verrier(ガラス職人)」。19世紀末の絵葉書。

19世紀のワイングラス1 19世紀のワイングラス2
ワイングラス。19世紀。高さ約14cmの大型。底部に切断痕が確認できます。
(Verres de vin soufflés)
高級品になると「火切り(切断部を加熱し滑らかに仕上げる)」をします。

リキュールボトル。クリスタル。1860-70年頃。底部・注ぎ口・キャップまで丁寧な仕上げ。


型吹き成型

 Soufflage au moule
 型吹きガラス verre soufflé moulé もしくは verre moulé soufflé
 (現在の一般的ガラス製品はこの成型によるので わざわざこう呼ぶことは少ない)

紀元前1世紀の中頃、宙吹き成型法がシリア・パレスチナ地方で発明されましたが、それを応用し、「型」の中に吹き込むことでガラス器の外形を容易に整えようというアイデアは簡単に出てきたようです。

この成型法が大きく変化するのが1800年頃、機械化の導入です。
機械化のメリットは多く、
- 不良品の減少
- 品質(特に厚さ)向上と材料節約
- 生産スピードの向上
など、良い事づくめでした。

機械化を積極的に進められたのはバカラ など高級品の分野で、高品質な製品を「同一規格品」として量産する態勢を整え、クリスタル製品を富裕階級に広く普及させることに成功しました。

小コップ。クリスタル製。バカラ。1900年頃。

一方で、庶民向けのガラス器製造も、1850年頃より活発になります。
工程の機械化を取り入れ、量産がはじまりますが、「工場制手工業」の域を抜けるのに時間がかかりました。一応「型」を使うわけですので、外形はある程度整っているのですが、内部をみると厚みにムラがあります。気泡・不純物・くすみ・脈理(熔融のムラなどに因る筋)も多くみられますし、底部などに切り口痕が残るなど、時代を感じさせます。

ワインが樽詰めからボトル詰めへ変わったのもこの頃で、ぶ厚く重いボトルに詰められたワインが、新しい運送手段である鉄道によって広範囲に出荷されるようになりました。
いまでもブルゴーニュとボルドーではボトルの形が違いますが、これは各地方ごとのガラス工房が、それぞれ形状の違う「型」を使っていたことの名残のようです。

やがて型押し(プレス)ガラスが登場すると、型吹きは一時的に下火になったことなどもあり、初期(1900年以前)の型吹きガラスはそれほど多く残っていません。

花びん。オパリンガラス。1880年頃。高さ13cm。側面に型の継ぎ目跡が目立つことや、底部の切断痕から初期の型吹き成型ガラスと判断できます。

1880年頃より、文様を浮彫りにする方法が多く取り入れられるようになります。しかし、細かなモチーフ(文様)まではっきりさせることは型押し(プレス)成型の方が適していました。
コップ。1880-1900年頃。コップ内側の歪みに注目。

コップ。1880-1900年頃。

1900年頃になると型吹き成型技術も進化し、かなり薄いガラス器が量産されるようになると、型押し(プレス)ガラスにはない繊細さが注目されるようになります。
時は「アール・ヌーヴォー」。エナメル装飾(後述)を施したガラス器は瞬く間に庶民の人気を得ました。

第二次大戦後は技術革新がめざましく、型吹き自動成型はガラス製造の主流となりました。
型吹き技術の向上を数字で端的に表している一例ですが、19世紀に1kgほどあったボルドー産ワインボトルの重量は、現在400g以下になっています。


型押し(プレス)成型
 型押し成型 = moulage par pression
 型押しガラス(プレスガラス) = verre moulé pressé もしくは verre pressé

熔融したガラスを、複数の「割型」でプレスして成型する方法です。型吹き成型よりも複雑な形状のものが可能であることから、ガラス製品の枠を大きく広げました。

この成型法は1827年、アメリカの New England Glass Company に勤務する Enoch Robinson が考案しました。
1830年代にはバカラ・サン ルイなどが早速この技術を導入し、高級クリスタル分野の品質と生産性の向上に繋げました。

プレス機の改良が進み、1864年にはほぼ全自動の機械が誕生し、本格的な量産化に突入します。
こうして、コップと大型ワイングラス一種しかなかった庶民のテーブルに、アペリティフグラス・リキュールグラス・ジョッキなどが登場するようになり、1880年頃にはこれら食器・小物入れなどの「実用品」はもちろんのこと、単なる「装飾品」なども徐々に庶民の生活の中に普及するようになりました。

型を使用するわけですので外形は整っていますが、初期のものほど「割型」の合わせ目にガラスが入り込んでできた筋が目立ち、かなり雑な印象を受けます。これらの筋は「バリ」とも呼びますが、これを観察することにより、皿など平面的なものは2つの割型、グラスなど立体的なものには3つ以上の割型を使用していることもわかります。このバリ以外にも様々な不良箇所が目につくものですが、「シワ」「肌荒れ」「焼きヒビ」などと呼び、味わうのがアンティーク好きの性分なのでしょう。

アペリティフグラス。1880-1900年頃。

ミルクピッチャー。1890-1920年頃。

ナイフ置き。1890-1920年頃。

コップ。1890-1900年頃。自然をモチーフとする「アール・ヌーヴォー」。

バギエ(指輪受け)。直径11cm、高さ8,8cm。1910-20年頃。「アール・ヌーヴォー」後期は、特に「花」がモチーフとして好まれました。

レモン絞り。1920-1930年頃。

ところで、この製法によるワイングラスは見かけません。
例外が「ビストログラス」と呼ばれるビストロ(大衆居酒屋)で使用された大小さまざまな業務用グラスです。背が高いワイングラスは分厚く、いかにも型押しグラスらしい味わいがあるのですが、少し戸惑います。ワインの色を愛でるには、宙吹きや型吹き成型による薄手のグラスが適しているということでしょうか。

ビストログラス。1920-1930年代。

技術の向上は細かな模様付けを可能にしました。

ボウル。1930-40年代。 ボウル。1940-50年代。

装飾モチーフまで型取りされていることを「moulé en plein」といいます。
モチーフとしては、「カット」を真似たようなデザインや、アール ヌーヴォーを反映した花柄、さらには幾何学模様などもみることができますが、単なる「装飾」だけではなく、例えば、薬びんの商標・計量カップの目盛りなども凸字成型されています。これは第二次大戦後、「セリグラフィー」などに替わるまで使用されました。

薬びん

哺乳びん 哺乳びん

計量カップ。1930年頃。 計量カップ。1960年代。


パット・ドゥ・ヴェール
(Pâte de verre)
 Pâte は練り生地、verre はガラスのこと。 (Pâte d'émail, Pâte de cristal とも呼ばれる)

紀元前3000年のエジプトやメソポタミアで作られた御守りや小さな装身具などは、熔融したガラスを「型」に流し入れる「鋳造法」によるものと同時に、珪砂などのガラス原料をそのまま「型」に入れて熔融作業を行なったものも確認されています。
「パット・ドゥ・ヴェール」とは、後者の方法で得られる独特な質感をもつガラスのことで、転じてこの成型法自体を指すようにもなっています。

最古の成型法のひとつで、ローマ帝政期のものも残っていますが、特別な方法であることに変わりありませんでした。
この製法は1880年代に アンリ クロ Henri cros が復活させると、数人の作家がアール ヌボー・アール デコ 期 を通じて魅力的な作品を発表しました(意外なようですが、ガレはパット・ドゥ・ヴェール作品は作っていません)。
近代の製法は、先ず石膏などで「モデル」を作成、それをもとに「型 moule」を作ります。ここまではブロンズ像などを作る場合と同じです。
次に「型」に粉末状の色ガラスを容れ、約800-1000度で焼成すると、約8時間で素材が均一化します。これを半日ほどかけ徐冷させた後に型から外します。そして表面の仕上げ加工を施します。
このように、量産には不向きですので、同一モデルはせいぜい10個程度の限定品であることがほとんどですが、ヴァリエーションが結構豊富で、この製法を好んだ作家たちのこだわりが伝わってきます。

一点ものの美術品でもなく、大量生産される雑貨でもないこれらの準工業製品はまさに「美術工芸品」の先駆けといえます。

卓上ランプ


装飾技術


装飾その1 カット・エッチング技術 ガラスの一部を削り取って加飾します。

「カット taille」と「エッチング gravure」の違い:

「カット taille」は立体的な彫刻です。 tailler(動詞) は「削る」ことです。それに対し「エッチング gravure」は表面に浅いキズを付ける技術で、一般的には「版画」を指します。
また、エッチングはその性格により、直接グラヴュール(ダイアモンド ポイント、円盤グラヴュール)と間接グラヴュール(酸グラヴュール、サンドブラスト)に分けられることもあります。

カット (taille)

研磨砂と水をつけながら、グラインダー(旋盤)で彫刻する装飾法です。
厚さ(幅)や、断面(ガラスとの接点)の形状が異なるグラインダーによってカットされていきますが、シンプルな線画にはじまり、整然と並ぶ多面体や幾何学模様に至るまで様々です。
カットはこのようにモチーフ豊かにする効果があるのはもちろんですが、屈折率を上げ、輝きを増すという重要な役割をも果たしています。

5-6世紀頃より盛んになりました。「ササングラス」が有名です。

17世紀のボヘミアでは、カリ ガラスの特性を生かし、カットの魅力溢れるガラス器を作るようになりました。更にクリスタル誕生後は、カット=高級ガラス(クリスタル)の図式が出来上がりました。
カット工程の機械化も試みられていますが、今でも職人の手作業が主流となっています。

1878年のパリ万博に、バカラは「カット彫刻 Taillegravure」と名付けたカットによるクリスタル器を出品していますが、それも「カット」に含めることができます。

香水びん。クリスタル。Flacon de parfum, cristal taillé

アペリティフグラス。準クリスタル。宙吹き。19世紀末。高さ10cm。

ダイアモンド ポイント グラヴュール
 Gravure à la pointe de diamant

ダイアモンドなどの硬質素材を使い、ガラス表面にキズを付けていきます。線刻・点刻に分かれます。

16世紀のヴェネツィア・ガラスに素晴らしいものがあります。
20世紀以降は、歯の治療に使う「バー」のような工具がよく使われています。

円盤グラヴュール Gravure à la roue

伝統的な工法では、テレビン油などを混ぜた研磨剤をつけながら、銅・鉛・石などの旋盤を使い、不透明な線・ボカシをつける装飾法です。その風合いから日本では「擦り模様」と呼ばれてきました。
古代より行なわれていた貴石の研磨技術から発展したものと考えられます。
厚さの異なる旋盤を使い分け、「擦り」の微妙な強弱により表現された趣あるモチーフはまさに「職人芸」です。こうした持ち味を生かした写実的なモチーフが多くなっています。

 
リキュールグラス。クリスタル。

香水びん。クリスタル。ウラン発色。1900年頃。幾種もの幅の違う旋盤を駆使し、見事な表現。ダイアモンドによる線刻も加えられている。

写実的なモチーフを施されたクリスタル製品とは違い、一般のガラス製品(ほとんどがワイングラス)には簡素な抽象模様が多くなっています。
非常にやわらかな線は「擦り模様」という表現がぴったりで、味わい深い温かさがあります。手触りもなめらかです。
1870年頃から増え始めますが、型押し(プレス)成型・酸グラヴュール・エナメル装飾など手間が少なく、より効果的な装飾法に押され、1900年頃には姿を消しました。

ワイングラス。抽象模様のほかには、「友情 Amitié」「思い出 Souvenir」などと記されたものがあります。これらは記念品や贈り物であったようです。

酸グラヴュール
Gravure à l'acide(technique champlevée)

ガラスが酸性液に浸蝕される原理を利用する方法自体は17世紀より考案されていたのですが、実用化は遅く、1855年に ケスラー Kessler が フッ素水素酸 acide fluorhydrique による方法を確立してからのことでした。

この技法による装飾は、大きく2つに分けることができます。

1つ目は、広範囲な「面」の加工処理をするもので、ガラス器全体に及ぶこともあります。浸蝕をコントロールすることで「ツヤ消し」や「粉吹き」状などの効果を得ることが出来ます。
エミール ガレ(Emile Gallé)にはじまり、アール ヌーヴォー・アール デコ両期を通じて多くの作家が手がけたわけですが、そうした「美術工芸品」ではなく、第二次大戦前はいくつかの量産品すら製造されていました。

2つ目は、「線刻」です。
まずガラス器全体を、蝋とテレビン油、またワックスなどで覆い、保護膜を形成します。そして針ペンでモチーフをデッサンします。その後ガラス器を酸性液に浸すと、保護膜が削られ露出している部分が浸蝕されるという仕組みです。
他のカット・エッチング技法と比較すると、複雑な模様が簡単にできますので、幾何学模様などの装飾に効果を発揮しました。

戦後は酸性薬品を使用しない サンドブラスト Gravure par sablage へ移行しました。

アペリティフグラス。クリスタル。1880-1910年頃。

シャンペングラス。準クリスタル。1910-1930年頃。

1930年代。 1940年代。 吊るし電灯。1930年代。

サンドブラスト
Gravure par sablage

コンプレッサーを使い、酸化アルミなどの砂状の研磨材を高圧で吹きかけることでガラス表面にキズをつけ、ツヤ消し状にする技術です。マスキングシートなどにより加飾部分以外を覆い、保護する点、酸グラヴュールと似ています。

1870年、アメリカで ティルマン Tilghmann が特許取得。20世紀に入ってから機械化が進むと次第に普及していきました。

グラスセット。1920年頃。

20世紀には Lazer レーザーも使用されています。


装飾その2 加飾が同時に「加色」です。

金彩
Dorure

金彩は大きく分けると、水金(硫黄、テレビン油などどと混ぜたもの)をガラス面に塗り低温で焼成する方法と、油や膠で溶いて塗るだけの方法があります。
1830年代までは金粉を溶かしたもの(筆書き・焼入れなし)、それ以降は「金箔」がよく使用されるようになりました。

リキュールボトル。クリスタル製。ナポレオン3世様式。


エナメル装飾
Emaillage  エナメル装飾を施したガラス = verre émaillé

発色材(コバルト・アンチモン・マンガン・銅・鉄などの酸化金属)とガラス溶剤の混合物を原料とし、筆による手書き、もしくは Pochoir (ステンシル・合羽版・型付け紙)を使用してガラス面に加飾します。その後、600度以下の低温で焼成します。
ガラス溶剤を焼成するという点においては、陶器の絵付けや、貴金属でいう七宝と原理は同じです。
ちなみに、この処理を全面に施した鉄製品が俗に言う「ホウロウ」で、1890年頃より作られています。

歴史的な流れをみますと、6世紀頃、現シリア首都のダマスで盛んになり、8世紀頃にはビザンチン帝国内で発達しました。15世紀にヴェネツィアで取り入れられると、「ヴァネツィア様式」の広がりとともに16世紀にはフランスへも伝わりました。

1870年代に エミール・ガレ Emile Gallé がこの装飾法を好んで使用しています。産業美術(Art industriel :インダストリアル・アート)の先駆者であるガレは様々なガラス産業全体に大きな影響を及ぼしましたが、このエナメル装飾も1880年ごろより富裕階級で流行します。時は Art Nouveau (アール・ヌボー)。自然を題材としたモチーフが原色やパステルカラーで描かれました。


1900年前後より クリシー Clichy や メゼンタール Meisenthal などの工場が大衆向けのエナメル装飾ガラス器の量産を開始しています(メーカー名・ブランド名・サイン等は殆どありません)。
人気モチーフは「花」。繊細さに勝る「型吹き成型」によるガラス器がほとんどです。リキュールグラスの縁などは切り口の仕上げもされていないこともありますが、大雑把さも味わいのひとつです。
このような手書きのエナメル装飾は第一次大戦までが最盛期となりました。

第二次大戦後は、セリグラフィー(Emaillage par sérigraphie) や プリントシール(Emaillege par decalcomanie)、スプレー式(Emaillage par pistoletage) などに応用され、その工程は機械化されています。

1950-60年代

灰皿。1960−70年代

計量カップ。1960年代〜。

セモンタシオン Cémentation

ガラス表面に酸化金属溶液を塗り、焼成します。エナメル装飾と違い、ガラス溶剤を使いません。ボヘミアのフリードリヒ エゲルマン Friedrich Egerman が1816年に酸化銀による黄色、1832年に酸化鉄による赤の2種を考案しました。どちらも半透明です。
サン ルイは1840年より、バカラは1860年にこの着色法を取り入れました。


虹色彩色(ラスター彩色)
Verre irisé

ローマンガラスによく見られる「ガラスの銀化」。これはガラス表面が長い歳月を経て化学変化した現象です。「虹色ガラス」もしくは「玉虫色ガラス」というのは、その銀化の雰囲気を真似ることに端を発しています。


19世紀後半にイギリスの トーマス ウェブ Thomas Webb とボヘミアの ジョゼフ ロブマイヤー Josef Lobmeyr が考案した方法が良く知られています。
化学反応をおこす原料は、錫や銀などの金属酸化物ですが、
1)熔融段階よりガラス素材中に混入し成型する方法
2)成型後に吹きかける方法
3)成型後に塗布したのちにもう一度焼成する
など幾つかの方法があります。

アメリカのルイス ティファニー Louis C Tiffany が色のヴァリエーションを広げることに成功し、独特なガラス器を作りました。

大衆向けのガラス製品にもその趣向を表しているものが見られます。

1940-50年代


ガラスいろいろ その原料・発色


ガラスは防水性・気密性に優れ、多岐に利用されています。製造に必要なエネルギーが多いとはいえ、主原料である珪砂は自然界に豊富な資源ですし、ガラスはリサイクルも可能ですので、自然にやさしい資源と言えます。


ガラスの種類について

ガラスの「御三家」の主成分とその含有量(%)は以下の通りです。
酸化鉛は溶剤も兼ねます。

ガラス素材
vitrifiant
溶剤
fondant
安定剤
stabilisant
ソーダ ガラス 珪砂
(酸化珪素)
70
ソーダ灰
(炭酸ナトリウム)
15
石灰
(炭酸カルシウム)
カリ ガラス 珪砂
(酸化珪素)
75
木灰
(炭酸カリウム)
15
石灰
(炭酸カルシウム)
鉛 ガラス
(クリスタル)
珪砂
(酸化珪素)
55
炭酸
カリウム
15
酸化鉛*
25


鉛ガラスについて

フランスでは「クリスタル」の鉛含有率は24%以上と定められています。
鉛含有率が10-15%の鉛ガラスは「準クリスタル」と呼ばれています。


オパリングラス(opaline)について

オパリングラスとは、オパールのように乳白色をしたガラスのことで、光の加減によっては淡いピンク・緑・青などが混じる独特の風合いを持っています。
16世紀のヴェネツィアで考案されていますが、1612年にフィレンツェのアントワン・ネリが化学反応を使った乳白ガラスの製法について著したものが最古の記述とされています。
フランス国内では、オルレアンの ベルナール ペロー Bernard Perrot がアンチモンの混合による製法を考案しました。
ドイツでは、カンケルJohann Kunckel が乳白ガラスに取り組みました。
1700年を過ぎると英国をはじめ、ヨーロッパ各地に伝わりました。

フランスで人気を博するのは王政復古期(1815-1830)。高級ガラス器といえば、カット彫刻を施した無色透明なクリスタルの一点張りだったのが、女性的なものが求められるようになったことによります。また、人気の高かった磁器に似た風合いも好まれたようです。
オパリングラスに混合される物質は、酸化錫や骨灰(リン酸塩)が主です。酸化金属を発色材として加えることで、コバルトブルー・ピンク・黄色などをしたものもありますが、総じて クリスタル オパール (Cristal opale) や クリスタル オパリゼ (Chistal opalisé) などと呼ばれていました。余談ですが、オパリン (Opaline) の単語が辞書に登場するのは1907年のことです。

オパリンはクリスタルだけではなく、普通のガラスでも作られています。Pâte de riz (もちガラス)、Verre d'albâtre (雪化石膏ガラス)と呼ばれるものもありますが、これらもオパリングラスの一種です。

1842年から1860年頃まで、バカラでは「めのう」に似せた アガット Agate と呼ばれる色ガラスを作っています。これも当時高価だった磁器に似ていたのですが、二酸化ケイ素を多く含有していたために硬質で、型吹きに適さず、オパリンほどは製造されませんでした。


シルエット・色合い・エナメル装飾、全てが優雅で華やぎのある花挿し。銅製の台座も好まれました。

花挿し。半機械化された型吹き成型に手書き装飾。初期の普及品。


1880年以降の型押し(プレス)成型技術が普及し、様々なガラス器が庶民の生活の中に普及するようになりますが、オパリンも例外ではありませんでした。
成型も粗雑な感じがあり、彩色仕上げなども無いものも多いのですが、そのヴァリエーション豊かな色は人気を集めました。
フォワール (foire = 縁日、お祭り)などで行商人たちが廉価で販売したことから オパリン ドゥ フォワール (Opaline de foire) または オパリン ドゥ バザール (Opaline de bazar) と呼ばれています。

1900年から1930年頃までが最盛期で、フランス国内では ヴァレリスタル(Vallerysthal)・メゼンタール(Meisenthal)・トロワフォンテーヌ(Troisfontaines)・ポーチュー( Portieux)・ヴィエゾン(Vierzon)が主な製造地として挙げられます。
意匠登録など無い時代、お互いコピーしあったのでしょうし、工場の倒産などで「割型」が売買されたかもしれません。似たものがあちらこちらで製造されていて区別がつきませんが、中には製造地名が凸字で浮彫りされているものもあります。
V.S (もしくは S.V.)の「謎の2文字」があるのですが、Vallerysthal-Sarrebourg ではないかと推測されています。


  

オパリンとは区別されるようですが、電笠に乳白作用を応用したものが多く見られます。これらは、酸化錫・骨灰の他にクライオライトや蛍石などを乳白原料としています。

1900-40年代。 1940-50年代。


発色に関して


ガラスは、本来、うす青緑です(色ガラスになるのが当然で、無色ガラスを作る方が大変なのです)。マンガンを混ぜ無色化したガラスが広まるのは3世紀頃のことです。

発色には幅がありますが、発色材は以下のようになります。
酸化
第一銅
セリウム
チタン
ウラン クロム コバルト ニッケル マンガン
黄緑 赤紫


ウランガラスについて

ウラリン Ouraline と呼びますが、あまり知られていません。

ウラン発色によるガラス・クリスタル製品は1830年頃のボヘミアにはじまり、フランスをはじめ各国に伝わりました。

1895年レントゲンによるX線の発見、1896年ベクレルによるウラン放射能の発見、1898年キュリー婦人によるポロニウム・ラジウムの発見などにより、ウランの蛍光作用が脚光を浴びるようになりと、たちまちのうちにいろんなガラス製品がウランガラスで製造されるようになりました。

以下の写真は、黒地に普通の蛍光灯を使い撮影しています。ブラックライトを当てると蛍光作用が顕著に現れますが、日光下でも十分にその独特な風情を楽しむことができます。
一輪挿し。高さ12cm。 香水びん。クリスタル。1900年頃。

リキュールセット。1900-1910年頃。型押し(プレス)成型。

プレス成型。1930-1940年頃。

1938年、ウランの核分裂が確認されると、核兵器原料として各国は使用を統制し、ウランガラスの製造はほぼ中止しました。戦後になっても、ウランの価格が高騰したことや、他の原料による同系統色の発色(蛍光作用はありませんが…)が取り入れられるようになったことなどが重なり、ウランガラスの再興は起きませんでした。
なお、ウランガラスに含まれるウランによる放射能は非常に弱く、人体から出ているのと同じ程度です。


ガラス器のメンテナンス Entretien について


ガラス皿やグラスなどは日常で使って楽しみたいものです。電子レンジさえ避ければ怖いものはありません。
そこで、ガラス器のお手入れの要点を知っておきましょう。

洗浄

プラスチックの桶・洗面器などを用意します。
手洗いで1個ずつ洗います(損傷リスクを避けます)。
必要に応じ、台所洗剤・やわらかいスポンジ・やわらかいブラシを使用します(非焼成の装飾があるものは要注意)。
しつこい汚れは、浸け置きします(装飾があるものは避けた方が良いでしょう)。ちなみに、フランスの伝統的な方法は「白ワインビネガーにあら塩」です。
ボトルのキャップが取れないような場合には、サラダ油を注いで置いておきます。力を入れず慎重に扱うようにします。
香水びんの匂いの除去には、強度のアルコールを使用します。

乾燥

洗浄後は直ぐに乾かすのが基本です。乾燥した麻布で拭くのが最良です。
ワイングラスは台座(底)を持ちながら拭くと脚部が折れたりしますので注意が必要です。
ボトルは逆立てて水を切った後、内部を布で拭きます。ヘアドライアーを利用し、低温で乾燥させるのも一策です。濡れたままでキャップをしないようにします。

保管

コップ(ゴブレット)などは重ねないようにします。
キャップは外しておくか、ボトルとの間にシルクペーパーをはさんで置くようにします。

修復

瞬間接着剤などの優れた接着剤が開発されていますが、ガラス修復に最適なものはまだ見当たりません。「黄ばみ(乾燥後の変色)」など課題は多く残されています。
修復にはやはり専門家の技術が必要となります。採算性の面からも、修復の対象となるのは美術工芸品や高級クリスタル器に限られるようです。


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